はじめに

「夕張メロンのブログ」の筆者がどんな人なのか知りたい!
・時間に余裕があり、ヒマつぶしに読んでみたい

興味がない方が多いと思うので基本的にスルーでいいですよ(笑)
この記事の内容

・私自身も「IBJ加盟店でのお見合い結婚」で、自身の経験を生かして婚活の記事を多めに書いています。
・おいしいグルメや旅行の情報を紹介しています。
・起業やお店の運営で私が知っている知識を公開します。
・副業をいろいろやってきました。
いろいろな副業を実体験をもとに解説しています。
・特に試食販売(マネキン)は経験者が少ないので、いろいろ細かく解説しています。 販売で困っている方のヒントになるかな?と思います。
→マネキンの記事はnoteに移動しました。よかったら見てください。
・ワードプレスを使ったブログは始めてまだ間もないので、学びながら記事として公開していきます。
読みにくいこともあるかもしれませんが、どうかよろしくお願いします!
筆者のプロフィール

【年齢】 アラフォー
【職業】 元ベーカリー経営者。12年経営していて、なかなか繁盛していたんですが、ある事件で歩けなくなり泣く泣く閉店しました。
2回の手術と2年のリハビリの末、ようやく人並み以下に歩けるようになりました。
その後試食販売員を始めて、しばらくの苦戦の末会社でTOP 3に入れました。
現在は主婦業、家事、介護、内職に追われまくっています。
ネットで何かできないか?模索中。
【出身】 東海地方
【住んでるところ】 関西の地方都市

【趣味】
料理(ちょっとプロ級)
パン作り(元プロ)
お菓子作り
ブログいじり
FX(時間がとれなくてお休み中、スキャルパーです。)

【夕張メロン名前の由来】
試食販売(マネキン)で北海道物産展をしていた時に、隣のお店で売っていた「夕張メロンソフト」があまりにもおいしくて、それから名前で使っています。
もちろん本物の「夕張メロン」もおいしいですよね。
北海道で食べた時に頬っぺた落ちましたし(笑)
家族でアプリゲーム「シノアリス」をやっていた時も、ギルドマスターの時の名前で使ってました。
シノアリスは運営が、いろいろやらかしてくれてちょっとついてけなくなったので、3年やってましたがやめました。
・寿司屋の長女として生まれる。
・小学一年生から高校3年まで毎日寿司屋で働かされる(涙)
平日は学校が終わってから夜9時まで。学校がお休みの日は朝6時から夜9時まで。
うなぎ、穴子、ひらめ、カレイ以外なら何でもさばけます。
カウンターでお寿司を握る以外は全部できます。
今も三徳ナイフで魚一匹さばいて晩ごはんにしてます。
・おばあちゃんに教えてもらいながら「お菓子作り」に目覚める。
妹の代わりにバレンタインケーキを作ってプレゼントしたりしたこともあります。
・親は婿養子 + 寿司屋のおかみさん になることを望んでいました。
・親の口ぐせは「寿司屋を継がなければ死ね!」でした。
「もっともっと苦労しろ」とも言われてました。
少しでも逆らったら一週間ごはん抜き、給食だけでしのいでいたこともあります
こいつでは寿司屋は無理だ!と何度新彼氏と別れさせられたか‥
ずいぶん殴られました
私に多額の生命保険がなぜか掛けられていたそうですが??
親のことならここには書けないくらいヤバいこともありますが、これくらいにしておきます。。
あまりの毒親ぶりにとうとう私がブチ切れて家出。
縁もゆかりもない、関西のとある地方都市に住み着くようになりました。
パン屋での話(読み飛ばし推奨です)


ながーーーい話になるので
どうか読み飛ばしてください。
ハズカシイ話でもあります。
・ようやく初めての自分の人生を歩き始めました。
どうせならやりたいことをやってみよう!と「お菓子」の世界に入ろうとして
なぜか「パン」の世界に飛び込んでしまいました。
その会社には「パン部門」「製菓部門」があるとは知らなかったんです。入る会社を間違えました。。
・とりあえずできるところまでやってみよう!と頑張ると、めきめきと上達していきました。
・ただし先輩職人たちからはかなり激しいいじめにあいました。
上達が早すぎて「他店からのスパイ」とまで言われて嫌われました。
寝る間も惜しんで必死に勉強して、仕事についていってるだけなんですが。。
あと私は「売ること」がとてもうまいらしく、販売の社員からも相当いじめられました。
・ずっと孤立無援だったんですが、会社からは正社員の辞令が。
多店舗展開している会社なので転勤を望みましたが「正社員として【今の職場で】頑張ってください。」と言われ絶望し退職しました。
・それから小さなス―パ-でベーカリーの店長候補として就職しました。
・その会社でいろんな店舗を任されて経験を積みました。
・そこで他社からの引き抜きに何度かあいました。(ヘッドハンティングというようですね)
・会社の社長が別の事業で「社運を賭けた」何かを大失敗したらしくベーカリー事業を売却してしまいました。
・そこで私も退職して別の会社へ行きました。
次のパン屋では立地も駅ビルでかなり大規模なお店を任されました。
運悪く実家の近くのお店になりました。
冷凍生地ばかりの有名店で知名度も高いあるチェーンのお店です。
ただし売り上げはボロボロ、利益は毎月-200万円!というヤバいお店でした。
だれも立て直せないお手上げのお店(だそうです)。
あとで聞いたんですが、閉店も視野に入っていたらしいです。
私が前日にあいさつにお店に行ったら
バックヤードで社員二人とバイトみんなでクリスマスパーティーをしていました。
食べてるものから飲み物までぜんぶ会社の経費ですし、20人はいたバイト達は時給ももらっています。
お店側は店員もお客さんも誰もいない。
パンも何も並んでない。
あまりのことに頭が真っ白になりながら本社に電話しました。
その後本社のエライサン方がお店に突撃してエライことになったそうな(笑)
スタッフのほとんどがその場でクビにされてしまいました。
次の日、私がお店に行ったら誰もいない。わたしのせいですが・・。
会社の社長から経費をどんだけ使ってもいいから「お店を立て直せ!」と直々に命令されました。
死ぬような思いでお店を運営しながらスタッフを育てて何とかお店らしくなってきました。
3か月後には利益が+200万円出たそうでやれやれでした。
本社からいきなり呼び出され表彰もされました。
(このエピソード関係者なら知ってるかもしれないです)
(身バレしてしまうかも…(;’∀’))
そのお店で何年かずっと頑張ってきたんですが、がんばりすぎて周りの個人店が潰れていきました。
ある方がお店に乗り込んできて「話がある…」と。
「ある個人のパン屋が閉店するので、無料であんたお店をもらってくれないか?」
??いきなりでビックリしましたがそんな話もあるんですね。
お店を閉店するのにもけっこうお金がかかるんです。

いきなり独立のチャンスがきました。
しばらく待ってもらい準備にかかります。
問題は「保証人」です。
親になってもらうしかなかったんです。
仕方なく親に会いに行きました。
親は喜んで保証人になってくれました。
・・が1ヶ月でも赤字なら即閉店!で寿司屋のおかみになれ!という難題を突き付けてきました。

お店は予想以上に壊れていて、修理にけっこうお金がかかりましたが無事にオープンできました。
ライバルは元自分が育てたお店です。
けっこう恐怖でしたがフルスクラッチ(完全自家配合)で味や値段を差別化出来て生き残れました。
裏では親が私のパン屋の悪いうわさを一生懸命流していたそうな。
あらゆる手を使って「ぶっつぶしてやる!!」と言ってると、すし屋のお客さんから心配されました。
ひどい業社につかまってひどい目にあいましたが、PCを使えるようになりました。
その後HPを立ち上げネット販売も始めました。
ちょっと特色あるパンを作っていたのでネット通販でもよく売れました。
100キロ先から予約して、お店に買いに来てくれるお客さんもみえました。
開店時にはお店の前の共同駐車場12台が満車になっていて、お客さんが開店と同時にお店に突撃、殺到するという状態でした。
ひどいときには開店3時間ですべて完売、これから焼けてくるパンも全部予約完売って日もありました。
雑誌やラジオ、テレビでも取り上げられて行列のできるお店として人気になりました。
どんなパンを売っていたか?などは、レシピを売ったパン屋さんとの約束でいっさい言えません。ごめんなさい。
結婚もでき旦那さんがパン職人見習いとしてスタッフになってくれました。
旦那さんとほかのスタッフさんでお店をまわせるようになり、私は安心して妊娠→出産しました。
苦労もありましたがずっと順風満帆でした。
がここからは・・・

旦那さんとは「お見合い結婚」でした。
いろいろありましたが、二人で乗り越えて今でも仲よくしています。
お見合については少し経験があるので、婚活のことを紹介しています。
パン屋は相変わらずぼちぼち売れていき、とうとう親のすし屋を売り上げで超えるようになってきました。
親としては面白くない!
そんなある日、実家に用事で家族でいきました。
その時のことです。
こどもがすくすくと育ってつかまり立ちできるようになりました。
私の親(祖父、祖母)の前で子供(孫)がつかまり立ちを披露していました。
本来ならほほえましい光景ですが、私の親はそれを見て喜ぶどころか一言
「うすぎたねえガキが目障りなんだよ!!」
といきなり孫に蹴りかかりました。
(寿司屋がいまいちなのにパン屋がよく売れて私たち家族も幸せそう・・・腹が立つのも今ならわかります・・が)
とっさに私が間に入ったものの子供(孫)にも当たってしまい大泣き。
その後うちの親が二人がかりで私が抱えた子供もろとも蹴りまくったようです。
子供を守らなくては‥の一心でした。
私の左足がおかしな曲がり方をしたのまでは覚えているんですが、
そのあと駆け付けた旦那さんの叫ぶ声が遠くに聞こえて・・・・。
気が付いたら病院のベットの上でした。
私は意識をかなり長い間失っていたようです。
体中に打撲の跡。
左ひざが破壊され(じん帯が切れてなかったそうです)全治1年半の車いす。
(その後、有名な奈良医大で関西の名医に出会い、2回の手術でなんとか人並みに歩けるようになりました)
子供はさいわい軽症でした(よかった)
旦那さんも足を痛め顔もボコボコのひどいありさま(ごめんなさい)
私がノビている間に旦那さん、旦那さんの両親とうちの親と話をしたそうです。
・警察沙汰にせずに「私が子供もろとも階段から落ちた」ことにすること。
・「私の親が今後一切私たち家族と接触しないこと」。
と決められました。
パン屋は絶頂期だったんですが閉店しました。
私の親の「保証人」というのもイヤでしたし、もう私の足が言うことを聞かなくて断念しました。
事情を知るなじみのお客さんからは「保証人や資金繰りを引き受けてあげるからお店を継続してほしい」とも申し入れされましたが断りました。
あの親です。何をしてくるかわからないですから。
その後「お店を買いたい」というパン屋で独立したい子が現れてお店やレシピごとそこそこの値段で売却しました。
値段を吹っ掛けもせず適正価格だったんじゃないかとは思います。
そのあとお店はどうなったかは知りません。
パン屋も絶頂期でようやく普通の幸せが手に入ったと思ったら、自分はほぼ再起不能。
パン屋も失いずっと寝たきり。
一時期は超マイナスなことも考えてました。
でもだんなさんや子供のためにも、ヤケを起こしても仕方ないと諦めました。
自分の人生の仇を討っても、なにもいいことない。
そう自分に言い聞かせて、無理やり納得しました。
いまだに悪夢でうなされてますが。
そのあと私たち家族は、むかし私が家を出て最初にたどり着いた、関西の地方都市に引っ越しました。
それ以降もう10年になりますが私の親がどうなったか?
寿司屋がどうなったか?
私は何も知りません。
知りたくもありません。

その後旦那さんの両親を迎え入れました。
子供は幼稚園のマドンナ的存在で男子に大人気だそうです。
末恐ろしい・・・(笑)。
小学校でも人気があるようです。
もう関西弁もバッチリできるようになりました。
ウワサの奈良医大のひざの名医さんにめぐり合えて私の足も回復して、
なんとか仕事をできるようになりました。
ちょっとでも無理をすると壊れたロボットのようになってしまいますが、まったく歩けないよりはましです。
思い切って試食販売の仕事に挑戦することにしました。
遠距離に遠征もあって数日家を空けることもたまにありましたが、そこそこの結果を出せるようになりました。
そのあとコロナ騒動が始まって、試食販売がやりにくくなりました。
また高齢の旦那さんの両親に介護が必要になってきました。
そこで私が完全に家に入り主婦として頑張ることにしました。
毎日忙しいですが「つまらない」のです。だから内職を始めてみました。
そのあと「ネットで何かできないかな?」と調べ始めて今に至ります。

よかったらマネキンの記事でも読んでみてください。

ながながと書いてしまいました。
読んでいただきありがとうございました。
いろいろありましたが
「前を向いて楽しく生きていこう!」
と今は家族でがんばっています。
尊敬する人


よき師匠には恵まれず尊敬する人はいないのですが・・・。
むかしパンの展示会が大阪であったときにフィリップ・ビゴさんに握手してもらったことがあります。
ちょっとHですがとてもやさしいかたでした。
「パンを丸めるには、女性の○○をやさしくなでるように・・・」
あんな師匠がいたらよかったな・・と思います。
ビゴの店・・大好きです!

ブログをいろいろがんばっていると、「すごい人」がちらほらみえます(本物とは言ってませんが)
その中でも「本物のすごい人」に出会えました。
いつか「師匠」と呼べる日が来るといいなと思います。
これからしたいこと
・家族の健康を守ること。
・コロナが終わって私も自由の身になったら試食販売を再開したい。
・娘の成長を見守ること。
・ブログをできるだけ更新すること。
・日々楽しく生きること!

このような目的を達成するために
この「夕張メロンのブログ」を
少しづつですががんばっていきたいです!
長くなりましたが、ここまで読んでいただいてありがとうございました!
自己紹介は以上になります。
今後ともよろしくお願いします。
夕張メロンといいます(*^▽^*)
はじめまして!
夕張メロンといいます(*^▽^*)